会津平の豊かな恵みを受け、東北一の要所として歴史的にも栄えてきた会津の地。多くの支配層が入れ替わりながらも、自然にも恵まれ、文化も栄え、会津という文化圏は営々と、この地にて豊かに育まれてきた。歴史を宿す史跡・旧跡、伝統を墨守する寺社、そして、自然の恩寵を受けた名勝地に温泉郷。文化施設や工房などでは、その文化を体験して―。会津の観光スポットを堪能し尽くす。
観光スポット全一覧
史跡・旧跡
展示・観光施設
会津若松エリア
至徳元(1384)年、葦名直盛公が東黒川館を築いたのが始まりと言われており、その後、蒲生氏郷公により、七層の天守(諸説あり)が竣工され「鶴ヶ城」と改名。慶長16(1611)年の会津地震で倒壊するも、加藤氏の時代に、現在見られるような五層の天守閣となった。保科正... [詳細をみる]
史跡・旧跡
展示・観光施設
会津若松エリア
江戸へ続く旧白河街道の滝沢口(滝沢峠の登り口)に佇む、「旧滝沢本陣 横山家住宅」。参勤交代や領内巡視の際の、歴代藩主の休憩所となったこの由緒正しき古民家は、幕末の戊辰戦争の際には会津藩の大本営とされ、時の藩主・松平容保(かたもり)公は、この御本陣より悲壮な覚悟... [詳細をみる]
史跡・旧跡
展示・観光施設
会津若松エリア
幼少期、手に大やけどを負った野口英世だが、その左手の手術を受けた「旧会陽医院」の建物が、会津若松市の“野口英世青春通り”に残っている。今では、1階は喫茶店・「會津壹番館」として、2階は資料館・「野口英世青春館」として、現地の方々や観光客に親しまれている。明治1... [詳細をみる]
展示・観光施設
会津若松エリア
戊辰戦争の頃、新選組副長・土方歳三が宿泊した清水屋旅館跡や、会津新選組隊長・斎藤一(藤田五郎)が眠る阿弥陀寺があるなど、新撰組とゆかりのある、七日町。その七日町駅のすぐ近くに、「会津新撰組記念館(骨董むかしや)」は、建っている。明治22(1889)年に建てられ... [詳細をみる]
史跡・旧跡
自然・名勝地
会津若松エリア
室町、葦名氏の時代に葦名盛久公が、霊泉が湧いたこの地に別邸を建てたのが、はじまりと伝えられる。その後、会津松平氏の三代目・松平正容(まさかた)公によって、大大名に相応しい池泉回遊式の山水庭園へと改造され、以後、歴代藩主に愛され続けてきた。昭和7年に国の名勝にも... [詳細をみる]
史跡・旧跡
会津若松エリア
齢16~17の少年たちによって編成された白虎隊は、戸ノ口原合戦から退却し辿り着いた飯盛山で、鶴ヶ城の天守を覆い隠す、激しい炎と濛々たる黒煙を目にする。その時、隊士の間では城に戻り戦うか、敵陣に斬り込み一人でも多く道連れにするか、激論が交わされた。結果、彼らが選... [詳細をみる]
史跡・旧跡
会津若松エリア
長い階段の先に辿り着く、白虎隊十九士が眠る地に佇む碑。その太い柱の上では鷹が今にも飛び立とうとしている。昭和3年、白虎隊の武士道の精神に共感を覚えたローマ市から寄贈された。表面に「文明の母たるローマは、白虎隊勇士の遺烈に、不朽の敬意を捧げんがため古代ローマの権... [詳細をみる]
史跡・旧跡
寺社
会津若松エリア
「会津さざえ堂」(国指定重要文化財)は正式名称を「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」といい、寛政8(1796)年、福島県会津若松市の飯盛山に建立された、高さ16.5メートル、六角三層の仏堂である。 二重螺旋構造の堂内には西国三十三観音像が安置されていて、参... [詳細をみる]
展示・観光施設
会津若松エリア
鶴ヶ城のお堀の側にあるは『会津葵シルクロード文明館』は、海と陸のシルクロードから集めた美の遺産を収蔵・展示する煉瓦蔵の平成4年4月にオープンした小さな美術館。一階は「南蛮かすてあん・会津葵」の銘菓売り場、二階と三階は「シルクロード美術館」。また喫茶室「西遊館」... [詳細をみる]
寺社
会津若松エリア
会津大鎮守・諏方(すわ)神社は、会津大鎮守六社のひとつで、福島県会津若松市に鎮座する格式の高い神社。創建永仁2年(1294)、御祭神は建御名方神(タケミナカタノカミ)です。黒川城主「葦名盛宗」が信州諏訪神社に戦勝祈願をしたところ、戦わずに勝利したことから信州よ... [詳細をみる]