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法界寺

〒969-6542
福島県河沼郡会津坂下町字光明寺東甲3944
TEL. 0242-83-3519 (法界寺)

[営業時間]
境内自由
定休日/年中無休
[料金]
無料
[アクセス]
会津坂下駅下車 徒歩10分

基本情報

福島県 河沼郡会津坂下町にある『法界寺』は、室町時代の永享10年(1438)創建。境内には、中野こう子、竹子、優子の親子、依田まき子、水島菊子、岡本すま子など、会津藩の婦女子によって結成された「娘子隊」と呼ばれた一人・中野竹子の墓があることで有名。また、竹子愛用の薙刀や遺墨は寺宝として残されており、無料で見学可能。毎年9月10日には会津坂下町で墓前祭が行われます。

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こだわり・みどころ

薙刀を手に果敢に戦い散った中野竹子が眠る墓

境内には、中野竹子が静かに眠る墓が。慶應4年8月25日戊辰戦争において若松の町外れ越後街道の涙橋のあたりで、長州、大垣の兵と遭って壮烈な戦いとなり、薙刀を振るい奮戦するも、敵の銃弾に倒れ、妹優子の手により介錯され、 遺品とともに持ち帰り法界寺に埋葬されたと伝えられています。幕末の会津女人が示したこの生き様は、現代を生きる多くの人の心をうち、訪れる人が絶えません。

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出陣の際に薙刀に結び付けていたという、辞世の句が刻まれた碑

墓の敷地には、出陣の際に薙刀に結び付けていたという辞世の句「辞世 武士の猛き心に比ぶれば 数にも入らぬ我が身ながらも」と刻まれた碑があります。また昭和13年には、戦死した柳橋近くの湯川端に辞世の句を刻み込んだ「中野竹子殉節之地碑」が建碑されました。

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戊辰戦争の際に使用した薙刀も

容姿端麗で文武に秀でた典型的な会津の武家娘として知られていた竹子は、弘化4(1847)年3月、中野平内・こう子夫妻の長女として、江戸城和田倉門内の会津藩上屋敷内に生を受け、5歳で百人一首を暗唱したという逸話や、7歳の時に、薙刀指南役を勤めた赤岡大助に弟子入りし、その腕前は免許皆伝の域に達するほどだったとも。寺には、戊辰戦争の際に使用した柄の長さ1.6m、刃渡り45cmの薙刀が、寺に保管されており遺品とともに回覧することが可能。また竹子の妹・優子さんのひ孫さんが墓を訪ねた際に『われを抱き 頬寄せましし おほははの息かと思ひぬ 会津の風は』という句を見ることができます。

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