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阿弥陀寺

〒965-0044
福島県会津若松市七日町4-20
TEL. 0242-27-7445

[営業時間]
定休日/年中無休
[料金]
境内無料
[アクセス]
ハイカラさん・あかべぇ「七日町駅前」下車徒歩1分

基本情報

会津若松の七日町にある阿弥陀寺は、慶長8(1603)年、蒲生秀行(がもうひでゆき)公から土地を賜った良然(りょうねん)上人による開山が始まりとされている。しかし、由緒あるこの寺院は、二度の火災で建物が焼失。戊辰戦争後、昭和30(1955)年に本堂を再建するまでの長い間、取り壊しが決定した鶴ヶ城より払い下げられた御三階(ごさんかい)を、仮本堂として使用していた。その玄関部分に飾られた三つ葉葵の紋が見守る境内には、戊辰戦争で戦死した会津藩士の墓や元新撰組の斎藤一(藤田五郎)の墓などがひっそりと佇んでいる。

こだわり・みどころ

魂たちよ、どうぞ安らかに

戊辰戦争の終結後、城下及び近辺で戦死した会津藩士の遺骸は、新政府軍の命令で触れることは許されず放置されていた。幾度もの嘆願により、やっとその埋葬許可が下りたのは翌、明治2(1869)年の2月。埋葬地は阿弥陀寺と長命寺に限られ、ここ阿弥陀寺には、およそ千三百柱にのぼる遺骸が埋葬された。今でも春・秋の彼岸には供養会が行われ、戊辰戦争に散った若き藩士たちの魂を手厚く弔っている。

◇大仏は太平洋戦争中に国に供出―、今では台座跡が残るのみ

現在に残る唯一の遺構

明治3(1870)年、新政府軍に解体された鶴ヶ城の小天守にあたる御三階は阿弥陀寺に移築された。外見は三階建てだが、その実、内部は四階建て。また板敷きの床は歩くと音の鳴る鴬(うぐいす)張りで、最上階へは引き上げ式の梯子という特殊な構造をしており、かつて鶴ヶ城にあった時には秘密会議に使われていたという。当時の鶴ヶ城の遺構として、現存する唯一の建物である。

◇唐破風の入口も鶴ヶ城の大書院玄関部分を付け足したもの

会津人としてこの地に眠る

元新撰組三番隊隊長として有名な斎藤一。彼は戊辰戦争の際「会津を見捨てることはできない」と、北へ向かった土方歳三と別れて会津に留まる。戦争終結後は藤田五郎と名を変えて、警視庁に勤務し西南戦争で活躍をみせた。大正4(1915)年に72歳で往生を遂げた斎藤は、後半生を会津人として生きた彼の希望により、ここ阿弥陀寺に葬られている。幕末の動乱から明治、大正を生きた彼の墓には、今でも参拝者の姿が絶えない。

◇紅葉の中、墓前に手を合わせ、遠い過去に思いを馳せる

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