歴史家 石田先生の会津歴史逍遥

会津を温ね 日本を知る、歴史家と歩く会津の細道

会津の歴史は、幕末のみにあらず。この地の懐に分け入れば、豊かに伸びる奥の細道。
時代史を縦糸に、テーマ史を横糸にー、織りなす会津市のディープに触れる。

| 歴史逍遥 vol.5 |

会津のソースカツ丼について

「会津ソースカツ丼」とは?

丼(どんぶり)の飯の上に、キャベツを敷き、その上にとんかつを載せ、ウスターソース(トマトケチャップ、酒などを加えたもの)をかけたもの。

「ソースカツ丼」の起源

[説1]東京都新宿区「ヨーロッパ軒」発祥説

「ヨーロッパ軒」は、大正年間に、東京の早稲田大学向かい鶴巻町にあった洋食店。大正2(1913)年、東京の料理発表会で「ソースカツ丼」を披露し、大正6(1917)年頃には、東京・早稲田の店で提供していたという。

[説2]「早稲田高等学院生」考案説

大正10(1921)年、早稲田高等学院生の中西敬二郎らが「ソースカツ丼」を考案したという説もある。

[説3]「その他発祥地」説(1)

大正9(1920)年、岩手県一関市「和風レストラン松竹」にて誕生した説。

[説4]「その他発祥地」説(2)

大正13(1924)年、福井県福井市「ヨーロッパ軒」にて誕生した説。
※東京の「ヨーロッパ軒」は、大正12(1923)年の関東大震災で再建不能となり、福井へ移り、その地で営業を再開させていた。

[説5]「その他発祥地」説(3)

大正末、群馬県桐生市「志多美屋本店」にて誕生した説。

[説6]「その他発祥地」説(4)

昭和5(1930)年、福島県会津若松市「若松食堂」にて誕生した説。

[説7]「その他発祥地」説(5)

昭和年間に、群馬県前橋市「西洋亭」にて誕生した説。
※「西洋亭」は、大正4(1915)年に創業しているが、「ソースカツ丼」の提供が開始された時期は不明。

[説8]「その他発祥地」説(6)

昭和初期、長野県駒ケ根市、恵那市にて誕生した説。
※詳細時期は不明。

会津の「ソースカツ丼」

会津では、丼の飯の上に千切りキャベツを敷き、その上にカツを載せるのが一般的。そして実は、会津は、「 『ソースカツ丼』に、最初にキャベツを入れた町 」でもある。

[会津の「ソースカツ丼」の歩み]

◎昭和5(1930)年、会津の「ソースカツ丼」の元祖・「若松食堂」が創業。
◎昭和20(1945)年、「デカ盛り(丼からはみ出すほど大きなカツを載せる)」の発祥地・「白孔雀(しろくじゃく)食堂」が創業。
◎昭和23(1948)年、「煮込みソースカツ丼」の元祖・「中島食堂(現・元祖煮込みソースカツ丼 なかじま)」が創業。
現在は、「会津ソースカツ丼の会」の事務局。
また、新撰組・斉藤一が宿泊した場所でもある。

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