
会津の歴史は、幕末のみにあらず。この地の懐に分け入れば、豊かに伸びる奥の細道。
時代史を縦糸に、テーマ史を横糸にー、織りなす会津市のディープに触れる。
| 歴史逍遥 vol.4|
23日、飯盛山自刃までの行動―戸ノ口原から滝沢街道 23日、戸ノ口原から退却し、城を目指す。 途中、点呼し人員16人を確認。隊士の中には、腰に残飯を多少持っている者がいて、それを出し合い、石地蔵の前に...[もっと読む]
| 歴史逍遥 vol.3|
8月23日の戦闘―前夜から両軍激突前まで 8月22日、夜10頃、白虎隊の日向内記(ひなたないき)隊長が、敢死隊に用があると篠田に告げ出かけたが戻らないので、23日朝は一同唖然とする。 23日(現在の1...[もっと読む]
| 歴史逍遥 vol.2|
飯沼貞雄『白虎隊顛末記』、大山柏『戊辰役戦史』、楢崎頼三『陣中日記』より 8月22日(現在の10月8日)、佐川官兵衛は指揮官として、白虎隊、奇勝隊、敢死隊、誠忠隊、回天隊ら約250人を率いて、戸ノ口原...[もっと読む]
| 歴史逍遥 vol.1|
会津婦道を詠った― なよ竹の 風にまかする 身ながらもたわまぬ節の ありとこそきけ西郷千重子 西郷頼母の妻・千重子の辞世の句碑 「なよたけの碑」は、寛永20(1643)年、会津松平氏の祖保科正之(ほし...[もっと読む]