獅子たちは、春という豊穣の季節の到来を慶賀して、舞を舞う。代々継承されてきた「技」を正しく用いて、新たな春の訪れに対し、全身でその悦びを表現する。
その踊りにもさまざまな種類があり、「一人舞い」と「三人舞い」に大別される。
「三人舞い」には、バチ舞、柴さがし、雌獅子隠し、山下ろし、大切り、袖舞があり、「一人舞い」には、太夫獅子舞、雄獅子舞、雌獅子舞、弊舞、棒舞、弓くぐり、などがある。
おもしろいのは、三体の獅子(太夫獅子、雄獅子、雌獅子)が、俗っぽい言い方をしてしまえば、“三角関係”にある、ということだ。
例えば、小松獅子団には、「女獅子隠し」という踊りがあるらしく、雌獅子を太夫獅子と雄獅子で取り合う。これは座敷舞いで、寝転がりながらその様子を、豊かに表現していく。
そうして結局、太夫獅子が雌獅子を射止めて、雄獅子は、しおしおと悔しがる。
ここからも分かるように、会津彼岸獅子は、子孫繁栄も願う。
そこには、どこかアニミズム的(原始信仰的)な、からっとした開放性が窺えるような気がする。生を肯定する前向きさとユーモアが、豊かに感じられるような気がする。
「棒舞」の棒は男性を表し、「弓くぐり」の弓は女性を表す。
この生への力強い憧れの表現は、まさに人びとの、生への営みの映し鏡―。
獅子舞のハイライトとも言うべき「弓くぐり」では、太夫獅子が弓をくぐる瞬間を、見物客たちは、今か今かと待ち構える。
そんな、彼岸獅子に向ける会津人の熱意を、よく表した歌がある。
隠居弥太勤めの弥太も叔父弥太も
やたらむしやうに獅子の評判
「徒町百首俗解(渋谷原艸撰)」
「弥太(やた)」というのは、架空のキャラクター。
下級武士の居住区域である“徒町(鶴ヶ城の東方、天寧寺周辺)”に住む、ひとつの典型的な人物像を、この「弥太(徒町弥太之進/かちのまちやたのしん)」というキャラクターに託したものだ。
つまり、会津若松の徒町にすむ、匿名的な「名無しの権兵衛さん」。
この多数の「弥太」さんらが、ご隠居であろうが、務め人であろうが、そのおじさんであろうが、とにかく、老いも若きも皆が皆で、彼岸獅子の話題でもちきりだ、ということを、ここでは歌っている。
当時の「弥太」さんらは、あの踊り手の「弓くぐり」のタイミングが良かっただとか、笛の技術が未熟だっただとか、賑々しくも真剣に、熱中しながら批評し合っていたのだろう。
その様を想像すると、なんともほのぼのと牧歌的で、そして、なんとも人間らしく思える。
今の世で言えば、プロ野球観戦後の、ファンたちによる熱き野球談義みたいなものだろうか。
幕末、八重たちも、ご近所の人らと顔を近づけ合って、ひいきの彼岸獅子の噂話に興じたのかと思うと、思わず頬が緩む。
今も昔も、人間には“娯楽”が必要で、こういった夢中になれる“娯楽”が成立するというのは、何をおいても、まずは平和であることが不可欠なのだろう。
平和があり、豊穣があり、そして、そこに人の営みの幸せが生まれる。
いつまでも、この牧歌的な「会津彼岸獅子」が、どうかどうか、続きますように。
そうして、この祈りは、会津の、そして、日本の平和を祈ることと、同義なのだ。