西郷頼母邸を再現した「会津武家屋敷」
photo by Nipponia Nippon

家老・西郷頼母が蟄居(ちっきょ)を命じられた。
松平容保公と、家老・西郷頼母。
容保公は、徳川将軍家と天皇家に、
そして、頼母は、会津松平家、すなわち、会津藩に、
只々、忠義を捧げ―。
同じ忠義の士でありながら、
掲げる御旗が違ったことによる、行き違い。
行き違いはしたが、しかし、
ふたりの義のこころは、どこまでも、美しい。
◆“西郷家の行く末”についてはこちらより
「会津 歴史逍遥」vol.1
⇒http://aizumonogatari.com/history/735.html