八重が自ら、墓碑銘の筆を執る3. 大龍寺 山本家之墓
昭和六(一九三一)年、八重は、散在していた山本家の墓を、
大龍寺に合葬し、墓標を建立した。
その墓標に書かれた「山本家之墓」の文字は、
八十七歳になった八重の手によるものとされている。
晩年にあっても、その筆致は、
なおも凛々(りり)しく、伸びやかに―。
そして、この碑を建立した一年後、
八重は京都の自宅で、静かに息を引き取っている。
墓は京都の若王子、夫・新島襄のすぐ傍らに、眠る。
- ■所在地 :
- 福島県会津若松市慶山2-7-23
- ■連絡先 :
- 0242-27-9376
- ■公共交通 :
- JR会津若松駅 →会津バス市内回り(飯盛山回り・鶴ヶ城回り)、
慶山下車 → 徒歩5分 - ■自動車 :
- JR会津若松駅から12分
- ■駐車場 :
- 普通車20台
- ■料金 :
- 自由拝観