八重の生涯の、はじまりの処1. 山本覚馬・新島八重生誕の地碑
八重は、父・山本権八と母・佐久の三女として、
弘化二(一八四五)年十一月三日に、
鶴ヶ城土手内、米代四之町(よねだいしのちょう)にて、生を享(う)けた。
碑は現在、米代二丁目にあるが、実際の生家は、
そこから西へ五十メートルほど歩いたところに位置していた。
その東隣には、白虎隊士・伊東悌次郎(いとうていじろう)の宅があった。
父・権八は藩の砲術指南を勤めていて、
その環境が、八重を銃術に親しませていくことになる。
兄には、後に京都府顧問となる、山本覚馬(かくま)がいた。
八重の偉業の素地は、すでに生家にて、豊かに培われていた。
- ■所在地 :
- 福島県会津若松市米代2
- ■連絡先 :
- 0242-23-8228(会津若松市「八重の桜」プロジェクト協議会)
- ■公共交通 :
- JR会津若松駅 → 若松市内循環バスで11分、
バス停米代2丁目下車 → 徒歩2分 - ■自動車 :
- 磐越自動車道・会津若松ICから7キロ
- ■駐車場 :
- なし
- ■料金 :
- 見学自由