vol.5 旧滝沢本陣 横山家住宅

「想い」を伝える場所

鶴ヶ城の北東、飯盛山の麓にひっそりと佇む、
茅葺屋根の入母屋(いりもや)造り、
延宝六(一六七八)年に建てられた古民家。

―旧滝沢本陣 横山家住宅。

参勤交代の折には、休息所として時の藩主がゆるりと憩い、
また、戊辰の戦では、ここに大本営が置かれた。

そうして、この民家から、
白虎隊の出陣命令が下されて―。

平時における歴代藩主の営みの余情と、
戦時の記憶を留める生々しい戦火の傷痕が、
この古民家を訪れた者に、語りかける。

長い旅路を前にひと時の安らぎを得た、藩主の「想い」、
若き命をいくさ場に散らした、少年たちの「想い」、
それらを今に伝え続ける、語り部たちの「想い」、
そして、その“物語り”を受け継ぐ、次代の「想い」。

静かに、しかし、
確固とした強さで語りかけられる、
さまざまな「想い」たち。

そんな、時を越えた「想い」の数々をつなげる、
「旧滝沢本陣」の物語り。

憂いか、喜びか

この本陣を代々守ってきた横山家の方は、語る。
―「本陣」という名前は、戦争とは関係ないんです。

白河街道沿いにある大名などがための宿所。
徳川の治世ではこれを「本陣」と呼んでいた。

参勤交代、猪苗代・土津(はにつ)神社参拝の折、
会津松平家の家長が一時の憩いを得た場所。

静謐(せいひつ)な空気の中、座敷に腰を下ろし、
立ち昇る畳の香を感じながら、
縁側から望まれる苔むした庭園の美観に、
ひとつ、息を衝く。

これからの険しい旅路への憂慮か、
一年ぶりに逢う妻子への懐旧の情か。

江戸に残してきた妻子への憂思か、
一年ぶりの故郷への懐郷の念か。

「彼ら」はここで、一体、何を思ったのだろうか―。

戦火の「想い」

時がたち、幕末の戦乱。
静穏な空気は突如として、荒々しく破られた。

慶応四(一八六八)年、戊辰戦争―。

宿所には張りつめた空気が流れ、
「本陣」の言葉に、にわかに戦の影が落ちる。

同年八月二十二日、会津の旗色は険悪。
会津藩主・松平容保(かたもり)公の心は悲痛なまでに―。

白虎隊士中二番隊に出撃の命を下す。
それがどんな結果を迎えるか、彼は知っていただろう。

「本陣」から初陣へと赴いた若き志士たち。
彼らは鬨の声を上げたのだろうか。

雄雄しきその姿、
双眸(そうぼう)に漲っていたのは戦意か、
それとも―。

敵の喚声は、すぐ近くで響いていた。

滲み出す、死者の「想い」

―白虎隊の歴史を伝えたい
 その覚悟を、想いを。

管理人の「想い」は静かだが、強く。

弾痕・刀傷を今なお残す柱、壁。

静かな座敷にはあまりにも不釣合いで、あまりにも生々しく、
見る者の耳には、死者のざわめきが満ち始める。

「想い」は人を捉え、魅了する。

―暗くなるまで見学していく若い方もいらっしゃるんですよ。

豪奢な仏像があるわけではなく、
有名な襖絵があるわけでもなく、
ただ、そこにあるのは剝きだしの「歴史」、

凄まじい「歴史」の跡。

確かに在った生の跡が、時を越えて「想い」を繋ぐ。

「想い」が遺す「歴史」

「想い」の連鎖は唐突に、乱暴に乱された。

あの日から、全てが変わってしまった―。
平成二十三(二〇一一)年三月十一日の大震災。

当初は訪れる人がぱったり途絶えた。
今は幾分良くなったとは言え、
会津が本来の元気を取り戻すにはまだ時間がかかりそうだ。

数年前までは、修学旅行で、
たくさんの子どもたちが訪れていた。
時には草むしりもしてくれた彼らの元気な声は、
もう聞くことはできないのだろうか。

―人に来てもらうのが、家にも畳にも一番いいんですよ。

横山家の方はそう語る。
ただ、そっと保存するのではない。
人が来て、中を歩いて、空気が流れ―。

人と関わって生まれた「歴史」だからこそ、
人が関わることで遺される。

この「歴史」を今、
ひとりの若者が自らの「想い」によって、
繋いで行こうとしている。

膨らむ「想い」

滝沢本陣を守って来た横山家には、
三十代になったばかりの若き後継者がいる。

―最初は歴史には興味がなかったんです。
地元に残る意思はなく、就職口も東京で探した。

管理人である祖母の跡を継ごうと思ったきっかけ、
それは、父の入院だった。

―男手が足りないだろう。
そう思って地元の組合にも入った。

飲みに連れて行かれ、地元の歴史を聞かされて、
初めて知る、会津の「想い」。

次第に募る、「継ぐ」意思。

―周りに、お茶処をつくりたいんです。

人を呼んで、地元の「想い」を伝えたい。
彼の「想い」は、膨らんでいく。

江戸の時代から、「想い」は時を越えて、
今、また次世代へと受け継がれつつある。

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