会津で生きる、覚悟
そんな地元思いの女将のもとへも、“あの日”は等しく訪れた。
東日本大震災――。
会津には、直接的な被害はそれほどなかったけれど、
ここは同じ福島県である。
今まで来てくれていたお客様が、ぱったりと途絶えた。
店に来たお客様は、山菜は要らない、蕎麦だけでいいと言う。
どんなに会津のものは大丈夫だと言っても、
簡単には受け入れられない。
それでも自分なりの“誇り”を失ってはいけないと、女将は言った。
「お客さんがね、大丈夫だった? って電話をくれたんです」
救われる思いだった。震災は女将にとって、
自らの誇りを、大切なものを、
再確認するきっかけになったのだ。
これから十年、二十年と、この土地は長い戦いに身を置くことになる。
風に乗った言葉というのは、短い期間で消えるものではない。
あの震災で、たくさんの人が多くのものを失った。
津波に流され、着の身着のまま逃げて来た人もいれば、
あの震災で家族を失くした人たちもいる。
「あたしは、そういう人たちにはほんとうに手を差し伸べたい。
そのためには、自分がしっかり覚悟しないと」