会津駄菓子と共に
嘉永元(一八四八)年、
時の藩主・松平容敬(かたたか)公から、
「庶民の菓子を作れ」との命を受けたのが、
長門屋のはじまり。
そして、嘉永五(一八五二)年には、
早くも、会津の名店・名所番付表である、
「会津五副対」にも掲載されている。
伝統菓子、郷土菓子を扱う長門屋が、
自ら「駄菓子」と銘打つ理由も、この歴史にある。
江戸時代の「駄菓子」とは、
貴重な白砂糖を使った献上用の「上菓子」に対し、
黒砂糖、ひえ、あわ、豆など、
庶民的な材料で作った、素朴な菓子のことだった。
このように、
「駄菓子」を本来の意味で使うことによって、
創業のきっかけとなった、会津の殿様への敬意と、
江戸時代の昔から、庶民に親しまれてきたという誇り―、
そのふたつを、明確に示しているのだ。