小松彼岸獅子(3)
photo by aizu

小松彼岸獅子(3)


aizuさんより、「春分の日」に催された、
会津に春を告げる「彼岸獅子」の舞について、
教えに満ちた、素晴らしいお便りをいただきました。


 〜小松彼岸獅子 後ろ姿、その“たてがみ”〜

 3月20日、春分の日、
 会津では各地で「会津彼岸獅子」の舞が、
 見られました。

 今回のターゲットは、
 名門「小松彼岸獅子」です。

 名門とは何故? という方には、
 戊辰戦争でのエピソードを、
 ご説明いたしましょう。

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 日光口にいた国家老・山川大蔵に、
 容保公の使者がついた。

 命は、「速やかに帰城すべし、
 但可成途中(ただしなるべくとちゅう)の戦闘を避くべし!」

 若干、24歳の山川大蔵は「可なり我に一策あり」として、
 考えたのが、「彼岸獅子」を利用した入城作戦だった。

 小松村の、大竹小太郎に、
 勇気ある独身男性10名を集めさせた(平均15.7歳)。

 城下は既に西軍に包囲され、まさに死にに行く様なもの。
 「小松彼岸獅子」の楽手を先頭に、川原橋を占領していた、
 長州藩、大垣藩の南側を堂々、行進した。

 敵は、突如戦場に現れた異様な一団に、
 唖然としながらも、傍観するばかりだった。
 先頭が城に入ると初めて会津藩兵と知り、
 してやられたと、地団駄を踏んだ。

 城内にて籠城中の山本八重も、
 きっと、この痛快な「彼岸獅子」の入城を、
 眺めていたに違いない。

 戦後、御薬園に招かれた獅子団10名は、
 容保公から感謝の言葉を賜り、
 さらに獅子の頬掛けと高張り提灯に、
 会津藩、葵御紋の使用を許された。

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そう、これが、「小松彼岸獅子」が「名門」と称される、ゆらい。
―aizuさんが、教えてくださった、会津人の気骨、心意気。